2025年10月10日金曜日

『柳の下で』こぼれ話

「柳の下で」本文

作中の歌はアイルランド民謡『サリー・ガーデン』 ( Down By The Salley Gardens)に歌詞を付けたもの。


原曲(イェイツが書いた詩)は切ない恋唄だが、吉原幸子の連作『Jに』をイメージして子守歌にしてみた。『Jに』は吉原幸子が赤ちゃん時代の息子をモチーフに書いた詩で、赤ん坊の愛らしさと我が子への情を見事に描いた作品。

最近、薄田泣菫の随筆『草木虫魚』を読んで「こういう詩的な文章が書きたい」と思った。美辞麗句を並べようとして上滑りしている気もするが、文章を書く気力が湧く自体は悪いことではないと思う。

2025年10月3日金曜日

失敗

 最初に勤めた会社選びに失敗したがために、転落というのかそこそこ惨めな人生を送っている。

具体的に何を言われていたのかはもう覚えていないが、
・酷い下痢が続く
・生理が止まる
・唾液が出ず虫歯になる
これらの身体症状が出る程度に追い詰められた。

入社半年ほど経ったある日の朝、更衣室で着替えていたら、「がくがくっ」と痙攣するように体が震えた。ああ、これ以上ここにいては駄目になる、と思い、転職を決めた。
それでも、何か技術を身に付けて新しい仕事を見つけてからにしようとパソコンスクールでイラレやフォトショの使い方なんかを習っていたが、ある日、先輩と上司からの罵倒の言葉で、脳内で「っぴーん」と何かが切れる音がした。

翌日、クソ上司に「辞めたい」と伝えたら「僕から部長に言うからそれまで待って」とうろたえたように言う。それから1週間ほど放置されたので「いつ言って下さるんですか?」と訊ねたら「僕は知らないから!自分で言ってよ!」と怒り出した。加えて「僕らの悪口を吹聴したらどうなるか分かってるだろうね?」とも脅してきた。

部長は退職をあっさり了承してくれたが、理由を訊かれたときに上司先輩の仕打ちをチクることは恐ろしくてできなかった。今思えば、全部ぶちまけてやればよかったと後悔している。

この会社にいたのは1年3か月だったが、20年経った今でもこのときの上司先輩に罵られ嘲笑される夢を見ることがある。こんな会社を選んだ自分の見る目の無さや思考の甘さ、いつまでも嫌なことを覚えている脳みそ(診断されたわけではないが、父親譲りの発達障害があると思う)にほとほと愛想が尽きている。

ただ、私の後に入社した女の子(かなりの高学歴)も、私をいびった先輩のいじめに耐えかねて退職したらしい。この女、「あーあ。私、人を二人も辞めさせちゃったからなー」と言っていたと別部署の後輩から聞いた。「無能な後輩にちょっぴり意地悪した仕事の出来るワタシ」という自己評価なんだろうなとこの話を聞いたときに思った。

2025年9月21日日曜日

嘘っぱち

手紙を題材にしたラジオ番組がいつも掛かっているラジオから流れてくる。

毎回ユニークなゲストと司会者がトークして、最後にゲストが「大切な誰かに宛てた手紙」を朗読する、というのが主な流れ。朗読の後の司会者の拍手がそらぞらしいなあと毎回思いながら聞いている。

他にも、聴取者からの手紙(たぶん、ここで読まれるのはメールではなく手紙)を読み上げるコーナーもある。毎回そこそこ感動的な内容のお手紙が読み上げられる。

ふーん、いい話だなあと思うのだが、その直後に「ちょっと待て」と私はつい心の中で呟いてしまう。これ、書いた人は「いい話」としてまとめているけど、この話に出て来る家族や友人はそこまで「いい話」だと本当に思っているのだろうか。

極端な話、全くのフィクションを書いて送ったって、番組制作者や司会者にはそれが事実かどうかなど調べようがない。仮に、DV男で私や母の人生を台無しにした私の父親が、自分がいかに立派な人間で家族を大切にしてきたか、などと手紙にしたためこの番組に送って採用されたら、全国の聴取者はこの手紙を「素晴らしい感動物語」、私の父親を「家族思いの素晴らしい父親」として受け取るだろう。

書いた本人にとってはフィクションではなく「事実」であり「本心」である、と言ってしまえばそれまでだが、こういうことを考え出すと「本当にあった心温まる話」として紹介される話を鵜呑みにすることに対して抵抗や恐怖を覚える。

「心温まる話」を書く人が本当に善良かというのはどうでもいいことで、大事なのは投稿されたその話が「聴く人がほっこりできるかどうか」。それが私はなんだか悔しく悲しい。文章さえうまければ、番組スタッフや聴取者を騙すのは(書いた本人には騙す意図は全くなくても)簡単だからだ。

2025年8月19日火曜日

さいなら

 書きたいものをなんにも思いつかないので創作やめます。

今までありがとうございました。

(2025/10/9 追記)ちょっと持ち直しました。

2025年7月11日金曜日

『蛍と約束』こぼれ話

 『蛍と約束』本文

作中の「踊り好きの娘」の話は、インドネシア民話「おどるパンダジア」(『ブレーメンのおんがくたい』国際版少年少女世界童話全集16 収録)をモチーフにした。

パンダジアという踊りの好きな娘が、踊りに出掛けたことで怒った父親から家を追い出される。そこへ、パンダジアを見初めた「月の王子」が鎖の付いた椅子を地上まで垂らし、彼女を天界に引き上げる。彼女もまた、踊りの輪の中で垣間見た月の王子に心を奪われていた。家族はパンダジアが天に昇る様を見て嘆き悲しむが、彼女は涙ながらに別れを告げる。

パンダジアは月の王子の妻となり幸せに暮らしていたが、月の王子を妬んだ兄の「太陽の王子」の矢に射抜かれて帰らぬ人となる。嘆き悲しんだ月の王子は、パンダジアを蛍に変えて家族の許に返す――という話。

最後にパンダジアの母が「あの子はきっと幸せなんですよ」と呟くところが切ない。家族は蛍がパンダジアの成れの果てとは知らず、ただ「天の使いとしてやって来た不思議な虫」としか思わなかった。

蛍の話はもう一本書きたいが、pixivの「期間限定ホタルエフェクト」は終わってしまったのでまた来年になるかもしれない。

2025年6月28日土曜日

『蛍の夜』こぼれ話

『蛍の夜』本文

pixivの期間限定の蛍エフェクトを使いたかったのと、窪田空穂の短歌 「其子等に捕らへられむと母が魂蛍となりて夜を来たるらし」をモチーフにした話を書きたくて書いた。中学か高校の国語で習ったが、妙に印象に残っている。

この前蛍を見に行ったが、期待したほどたくさんは見られなくて残念だった。それでも「ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」と清少納言も言ってたじゃないか、と負け惜しみを呟きながら(実際はのべ10匹くらいは見たが)蒸し暑い中歩き回った。一回、宮本輝の『蛍川』みたいに、「蛍にまとわりつかれた人が発光しているように見える」(だったかな?大昔読んだきりなのでうろ覚え)くらい大量の蛍を見てみたい。

「角砂糖に紅茶が染みるように」という部分は、尾形亀之助の詩『犬の影が私の心に写つてゐる』の一節「おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい」をイメージした。江國香織『ホリーガーデン』に出てきて、これも印象に残っている。

記憶に残っていてふと思い出した詩だの短歌だのを元に話を作って書くことはわりとよくある。

2025年6月19日木曜日

『ゆうべ見た夢』こぼれ話

 『ゆうべ見た夢』(R-18)

地元のラジオ番組でかなり昔(四半世紀くらい前)に紹介された、「子供に夫婦の営みを見られちゃった事件」を参考に書いた。
(以下、センシティブな表現を含むので読みたい人だけどうぞ)

『柳の下で』こぼれ話

「柳の下で」本文 作中の歌はアイルランド民謡『サリー・ガーデン』 ( Down By The Salley Gardens)に歌詞を付けたもの。 原曲(イェイツが書いた詩)は切ない恋唄だが、吉原幸子の連作『Jに』をイメージして子守歌にしてみた。『Jに』は吉原幸子が赤ちゃん時代...