2025年4月24日木曜日

昔のジャンルの(良い)思い出

 以前活動していたジャンルで出会った、変な人の悪口を書いてしまったので、逆に「この人、すごい」と思った人の話をする。

・めちゃくちゃ質の高い作品を100本(+30本くらい)発表していた人。

この人が書いていたのは、一本数百文字程度の短編だったが、「原作の続き、もしくは原作のスピンオフ」として非常に完成度が高い作品だった。原作の設定、背景を活かしながら、歴史的事実と原作のファンタジーぽい世界観が見事に融合していて、どの話を読んでも「こういうのが読みたかった」と思える出来栄えだった。そして、文章が格調高く美しく、豊富な読書体験が垣間見えるが、決して自身の知識量をひけらかす感じではなかった。ちょっと気取った言葉でも、作品の中で「これこそ使うべき言葉」というものが適切に使われていた。

100本をブログで発表した後、残り30本程度を個人サイトに掲載していたが、彼女の個人サイトは提供元がサービス終了してしまい見られなくなってしまった。先の100本はブログがまだ残っている上、pixivにも掲載しているので今でも読める。

この人は、今ではジャンル移動してしまったので、このジャンルの作品を発表することはもうないのかもしれない。私も、このジャンルの作品を書く気はもうない。ただ、ミンサガの小説を書くときもこの人の作品を思い出し、「あんな風に書きたい」と思いながら書いている。

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余談

先の記事の「他人に自分の作品を褒めちぎらせて悦に入っている人」は、この「すごい彼女」の作品について一切触れなかった。ジャンル内の人がほめそやする彼女をまるで存在しないかのように振る舞っているところが、却って彼女に対する敵愾心がむき出しになっているようで滑稽だった。

「悦に入っている人」は、「ツイッターで千本作品を投稿する」と鼻息荒く宣言したものの、結局内容の薄いつまらない話を3ツイート分投稿しただけでその企画は頓挫した。「私はプロ作家にも引けを取らないのよ!」と自称している(←明言はしてないけど、マジです。確かに、某ジャンルでは一時期かなり人気があったらしい)くせにそんなだから可笑しくて仕方なかった。 …結局悪口になってしまったな。

2025年4月23日水曜日

昔のジャンルの(嫌な)思い出

※愚痴です。 

以前活動していたジャンル(特に小説書き)には変な人が多かった(というか、目に付く人がだいたい変だった)。

・作品数は多い(pixiv投稿数200以上)が一向に文章が上手くならない人。
 最初はその人くらいしか推しカプのエロを書いていなかったので、感想を送ったり私の作品を読んでもらったりして仲良くしていたが、だんだんとその人の作品の粗が目に付いて嫌になった。中学生レベルの文法や言葉の間違いがちらほら見受けられ、物語に集中できない。また、独特なこだわりが強く(たまに小難しい漢語とか外国語を織り交ぜるが、平坦な文章に合っておらず浮いている)、それも読みにくさを助長している。
 ジャンル内では有名なので、そこそこちやほやされている。だから自分の作品に自信を持っていて、客観視できていないのかもしれない。

・「プロを目指していた」と言うだけあって文章力の高さに自信があるらしく、他人に自分の作品を褒めちぎらせて悦に入っている人。自分の作品を評価しない人は絶対に許さない。
 50歳近いが「多くの人に届かないとしても。それでも私は小説を書くんです。私にしか紡げない言葉を紡ぐことで、私は世界と繋がっていくんだ」みたいなクソ寒いポエムを呟き続けている。

・「他人の作品は、真似しちゃうかもしれないし、すごい作品読んでモチベが下がっちゃうと嫌だから読めなかった」と言いつつ(←作品発表を始めて3年くらい経ってからこう明かした)、自分の作品は「読んでね!」とアピールしまくっていた人。
 私の作品の解釈をガチ否定する内容のコメントを書いていたので私がキレて文句を言ったら「あなたの作品、読んでなかったから知りませんでした」「私はこんなに思いを込めて書いたんです。私は悪くないです」(←私が「ムカついた」と言ったコメントではなく、そのコメントを付けた作品について語り出した。読解力が低いことが窺える)と逆ギレして開き直った。
 「自分は可愛くて素敵な女性・ママ」と自認しているように見える(手料理や手作りお菓子、可愛いグッズの写真をよくアップしている)が、自分の非を指摘されると怒って相手をブロックする等、狭量な面もある。

・原作が好きすぎて「二次創作とかキモい」と悪口を言っていたが、後になって「やっぱり読んでみたら面白いのもあったわ」と掌クルーした人。ただし、気に入った作品だけ持ち上げてそれ以外については「あの人の作品以外要らない」と公言していた。
 ツイッター(現X)で私の作品についても文句を言っていたが、それが私から見えないように私のアカウントをブロックしていた(別のアカウントから見てしまったけどね。内容は、まあ、貴重なご意見として納得できるものではあったけど、見られたくないなら鍵アカでつぶやけばいいのにと思った)。重度のツイッター中毒らしく、一日90~100回くらいつぶやく日もあった。自称フェミニスト・反差別主義者だったが、大半が自分の気に入らないものをディスるつぶやきだった。

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思い返すと、あのジャンルの活動では変な人だと気付かずに交流して、後になって「しまった」と思うことばかりだった。また、私の性格の悪さも露呈しまくって、嫌になって後足で砂かけて逃げてしまった。

ブログの文章なんかで私の性格の悪さはバレバレだと思うが、ミンサガの創作や、趣味のイラストではそういうめんどくさいことにならないようにしたい。

2025年4月22日火曜日

『やきもち』こぼれ話

 前半の『匂う女』というタイトルは、阿刀田高の同名小説から取った。

この話は、主人公が変わった香りの香水(ディオリッシモ、だったかな)を使っている女に誘惑され、利用された挙句命を奪われるというブラックな内容の短編。冒頭に、女がガウンを着て立ち上がる様を「蝶が風を着るようだ」と表現している一文があったりと、内容の滑稽さに似合わず文章が美しい。

これを初めて読んだとき、私は中学生で「わあ、エロい」とコーフンしながら読んだものだった。女が巨乳なところとか、主人公が体調不良なのに情事に耽るというのが刺激的だった。

後半の『忘れないで(R-18)』は、もともとおやつさんのミンサガプレイ動画に付けられた「(グレイはクローディアとセックスするとしたら)すごい無言でパコパコしそう」というコメント(2:59:35あたり。残念ながら読み上げられてはいない。ちなみにこの直前の「クローディア(の)身体を知り尽くしてるグレイ」というのも気に入っている)に着想を得て、「喧嘩して、無言でエッチする二人が書きたい」という動機で書き始めた。

結果として、思ったほど「無言で黙々とパコパコ」にはならなかったが、いつものエロ小説と比べてひねった出来になっていたら良いなと思う。

2025年3月30日日曜日

お花見(せんせいといっしょ)

先週撮影。


名古屋市東区のオオカンザクラの並木道にて。



文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)。ステンドグラスもきれいだが、開館前だったので今回は見ず。



名古屋市政資料館。いろんな桜が植えてあるので、3月中旬~4月上旬までお花見ができる。
去年は『虎に翼』ブームでお客が増えたらしい。今年はどうかな。




徳川美術館前の東海桜。色合いや花びらが上品。
近所の保育園の子供らがお散歩に来ていた。



桜の並木道沿いにあった公園にて。スノーフレーク。



写真を撮っていたら、桜の蜜を吸っていたヒヨドリに糞をかけられた。
幸い、せんせいや私の衣服は無事だった。
その後もヒヨドリがたくさんいたので、これは汚れても良い服で来なければいかんなと思った。

2025年2月28日金曜日

『てんとう虫のブローチ』こぼれ話

『てんとう虫のブローチ』本文

「おかあさんにぼくが一番好きなものあげたいもん」という台詞は、『トモちゃんはすごいブス』(森下裕美/双葉社)の中の、「ボクはいつも自分の宝モノしかジュンユにあげない」という台詞を参考にした。

聡明な少年・車谷は、死が迫っていた親友・ジュンユの「恋をしたい」という願いを叶えるため、主人公・チコを彼の「恋の相手」として(デリヘル嬢としてだが)紹介する(それでもジュンユは車谷の友情とチコの優しさに満足していた)。ネタバレになるが、その後、ジュンユの死を受け入れられなかった車谷は、相思相愛になったチコを拒絶し自暴自棄になる。

「そんなに車谷はアタシが嫌いか?」と涙を流すチコに、車谷が言った言葉が「嫌いな人間をジュンユの恋の相手に選んだりしないし」「ボクはいつも自分の宝モノしかジュンユにあげない」だった。印象的な場面が多いこの作品だが、この台詞は特に深く心に残った。

 作中のヨハンナ(アクセサリー職人の女の子)のモデルは、リベサガのフロスティちゃん。ああいう子、可愛いなあと思って登場させた。尚、「クロワゾネ」というのは七宝焼きのことである。

宝飾品店は、江國香織の『冷静と情熱のあいだ Rosso』(角川書店)に出てくる主人公の勤め先をイメージした。「老婦人が営むアンティークジュエリーの店だが、近年は孫息子の作る新しい宝飾品も売っている」というのが、江國作品らしく、浮世離れしているが美しいと思う。
この『Rosso』は、主人公がひたすら別れた男への未練を抱えて日々を過ごし、最後に再会するだけという、悪く言えば退屈な話(江國作品によくある)だが、妙に心に残る描写(「ドンナの日」とか、親友の赤ちゃんがよちよち歩きしているとか、今カレと別れて住み始めたアパートのお風呂とか)がそこここにあって私は嫌いになれない。

2025年2月21日金曜日

『シロツメクサの楽園』こぼれ話

『シロツメクサの楽園』本文 

モチーフにしたのは、三好達治の詩『いにしへの日は』の一節。

ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず

この作品での「春の野」の花は「げんげ」(レンゲソウ)だが、なんとなく「春の花畑で遊ぶ母子の幸せな時間」というイメージで今回の話を書いた。 

最初は、ただグレイとクローディアと娘がシロツメクサで遊んでいるだけの話だったのだが、「時系列としては『花咲く頃に』の直前かな」と思ってつわりの話を入れたり、「楽園などどこにも無いんだ」というグレイの台詞を思い出して付け加えたりした。

「私の一生は、幸せだけ」という台詞(『最終兵器彼女』に出てきた気がする)も入れたかったが、なんだか不吉な感じがするのでやめた。また、個人的には「はるののにあそぶあそびを/ふたたびはせず」などと言わず、娘たちが大人になっても「昔こんなことしたね」と懐かしんで遊んだりしたらいいのに、と思う。

(追記)キンレンカのくだりは、梨木果歩『西の魔女が死んだ』(新潮社)より。
キンレンカ(ナスタチウム)が食べられることはこの作品を読んで知った(実際に食べたことはない)。葉っぱの形が本当に蓮っぽくて、「金蓮花」とはよく言ったものだと思う。

2025年2月1日土曜日

『菜の花色の服』こぼれ話

『菜の花色の服』本文 

モチーフにしたのは、向田邦子のエッセイ『黄色い服』と、上橋菜穂子『獣の奏者 外伝 刹那』の表題作。

『黄色い服』は、向田邦子が七歳のとき、「一着だけ好きな服を買ってやる」と言われて、黄色い可愛らしい服を買ってもらったという思い出の話。

彼女がそのとき選んだのは「今まで一度も買ってもらったことのない綺麗な色の、フワッとした夢のような服」だったのだが、この服を彼女の父親は「カフェの女給みたいな服だな」とこき下ろし、彼女がこの服を着るたびに(よそ行きとして数回着ただけだが)「またその服か」と不機嫌になった。

これに懲りた向田邦子は、翌年同じように好きな服を一着買ってもらうことになったとき、上品な「ぶどう酒色のオーバー」を選んだ。これは周りからの評価も高く(母が特に喜んだという)、彼女本人も気に入って長く着たのみならず、二人の妹のお下がりになった後、最後は妹のハンドバッグと帽子にリメイクされたそうな。

彼女はこの体験を「責任をもって、ひとつを選ぶ」ことを学んだ貴重な体験だったと振り返るが、私はこの文章を読んだとき、「子供が好きなものを好きと言えないなんて可哀想だ」と思ってしまった。

「少し地味目の品のいいものを選ぶと、自分も気分がいいし、まわりもきげんがよくて具合がいい、ということをこのとき覚えた」とあるが、もし彼女の父親が黄色い服を「可愛い」「よく似合う」と褒めていたら彼女は同じことを考えただろうか。結局、大人の反応を敏感に察知して、それに合わせることを覚えさせられたとも言えるのではないか。

そんなことから「自分の娘が自分の好みに合わない服を喜んだとしたら、グレイだったらどう反応するだろう」と考えたのが今回の話である。せめて幼いときくらい子供の好きな、というか心ときめく服を着せてやれ、という思いで書いたらこうなった。

クローディアのエピソードの元ネタは、『刹那』の一場面。エリンがイアルとの初デート(お祭り)に着てきた黄色い服を見て、イアルが「すごく似合う」と思いながら全く褒めることができなかったというくだりを参考にした。イアルのキャラクターは、グレイと被る部分が多い(無口なところとか凄腕の剣士だったところとか、思いやりはあるけど不器用なところとか)と思う。

『てのひらの月』こぼれ話

『てのひらの月』本文   モチーフにしたのは中島みゆきの『白菊』(アルバム『月-WINGS』収録)と、小川未明の『月夜とめがね』。 露天風呂で月を見ていて、『白菊』の歌詞の真似をして手にお湯を掬い月を映してみた。ものすごく小さくしか映らず、期待していたのと違ってがっかりした。それ...