モチーフにしたのは、向田邦子のエッセイ『黄色い服』と、上橋菜穂子『獣の奏者 外伝 刹那』の表題作。
『黄色い服』は、向田邦子が七歳のとき、「一着だけ好きな服を買ってやる」と言われて、黄色い可愛らしい服を買ってもらったという思い出の話。
彼女がそのとき選んだのは「今まで一度も買ってもらったことのない綺麗な色の、フワッとした夢のような服」だったのだが、この服を彼女の父親は「カフェの女給みたいな服だな」とこき下ろし、彼女がこの服を着るたびに(よそ行きとして数回着ただけだが)「またその服か」と不機嫌になった。
これに懲りた向田邦子は、翌年同じように好きな服を一着買ってもらうことになったとき、上品な「ぶどう酒色のオーバー」を選んだ。これは周りからの評価も高く(母が特に喜んだという)、彼女本人も気に入って長く着たのみならず、二人の妹のお下がりになった後、最後は妹のハンドバッグと帽子にリメイクされたそうな。
彼女はこの体験を「責任をもって、ひとつを選ぶ」ことを学んだ貴重な体験だったと振り返るが、私はこの文章を読んだとき、「子供が好きなものを好きと言えないなんて可哀想だ」と思ってしまった。
「少し地味目の品のいいものを選ぶと、自分も気分がいいし、まわりもきげんがよくて具合がいい、ということをこのとき覚えた」とあるが、もし彼女の父親が黄色い服を「可愛い」「よく似合う」と褒めていたら彼女は同じことを考えただろうか。結局、大人の反応を敏感に察知して、それに合わせることを覚えさせられたとも言えるのではないか。
そんなことから「自分の娘が自分の好みに合わない服を喜んだとしたら、グレイだったらどう反応するだろう」と考えたのが今回の話である。せめて幼いときくらい子供の好きな、というか心ときめく服を着せてやれ、という思いで書いたらこうなった。
クローディアのエピソードの元ネタは、『刹那』の一場面。エリンがイアルとの初デート(お祭り)に着てきた黄色い服を見て、イアルが「すごく似合う」と思いながら全く褒めることができなかったというくだりを参考にした。イアルのキャラクターは、グレイと被る部分が多い(無口なところとか凄腕の剣士だったところとか、思いやりはあるけど不器用なところとか)と思う。
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