『ポプラの秋』(湯本 香樹実/新潮文庫)という本がある。
主人公(25歳女性)が、かつて暮らしたアパートでの、大家のおばあさんとの日々を回想するという物語。
(以下、『ポプラの秋』ネタバレあり)
この作品は、「幼くして父を亡くした主人公が、引っ越し先の大家のおばあさんや、アパートの住人(とその身内)との交流を通して、子供ながら死や生について考える」というもので、ほのぼのとしているがなかなかに哲学的(←うまく言えないので適当に誤魔化した)な物語である。だが、25歳になった主人公(元看護婦。この作品が発表された当時はまだ「看護師」という呼称ではなかった)は、ある出来事から仕事を辞め、自殺を望んでいた。しかし、おばあさんの葬儀に向かう飛行機での一件で看護婦としての自信を取り戻し、そして懐かしいアパートでおばあさんに「再会」する。
『手を当てていて』は、この物語の後半、飛行機の中で倒れた少女を主人公が介抱する場面から思いついた。
少女は、おそらく虫垂炎と思われる症状で苦しんでいた。彼女の腹部に触れた主人公は「痛みが直に伝わって」くるような感覚に襲われる。少女は激痛を堪えながら主人公に「手、当てておいて」と頼む。
(私は感想や考察を書くのが本当に下手なので、気になった方は是非本作を読んでいただきたい。)
それはさておき、「手を当てて」介抱する、という場面がいいなあと思って使わせてもらった。また、余談だが『ポプラの秋』を読むとき、主人公の声は皆口裕子さんで脳内再生していた。この作品自体、おばあさんと主人公の会話が、オウルとクローディアを思わせる気がする。おばあさんの「口が悪く愛想も良くないが実は優しい」ところなんかがオウルっぽい。
あと、「生理痛で具合が悪い」というのは、『GUNSLINGER GIRL』アニメ1期4話から思いついた。
話が逸れるが、これがもしミリアムが旅の途中で生理になったら「あたいは今日、女の子の日だから休む!」と言い放ちそうだと勝手に思っている。
もう一つ、グレイのものの言い方がオウルみたいだというくだりは、『落下する夕方』(江國香織/角川文庫)の一場面を参考にした。
この物語は、主人公が、自分の彼氏を奪った(というか彼氏が勝手に心変わりしただけだが)女と同居することになるというぶっ飛んだ話なのだが、主人公はお人よしなのかどうしてもその女(華子という)を嫌うことができない。
その中で、華子の話し方が死んだ祖母に似ていると気付く場面がある。
「容赦がない」のに「しみじみと」響く話し方を華子はするという。あと、彼女の言葉は「決して冷たくは響かない」とも。これはグレイと似ているじゃないか、と勝手に思って使わせてもらった。